ドイツとピアノの出会い
ドイツにおける初期のピアノ製作の歴史はそのままピアノの歴史と言い換えても良いかもしれない。
それはクリストフォリの発明以降のピアノ製作に関してはドイツが担ってきたからである。
クリストフォリに少し遅れて始まったドイツのピアノ製作はシュレーターによって始められた。そしてその後ジルバーマン、シュタインと、その伝統は続いていった。
その後、七年戦争等で国内情勢が悪化し、職人たちの一部が母国を捨て、その結果イギリスやフランスに製作技術は伝わり、とくにイギリスがピアノ製造の先進国となる。
このようにして時代によってピアノ製作の中心地も移動したが、数多くの音楽家を輩出する土壌で、ピアノ製作が廃れることは一度もなかったのである。
◆ドイツ初期ピアノ
イタリアではクリストフォリにも弟子がいたが、製作の歴史は続きませんでした。そしてその後のピアノ製作はドイツに引き継がれていくこととなった。
ドイツではクリストフォリから少し遅れて、1717年、シュレーターという人物が初めてピアノを作ったとされている。
面白いことにシュレーターは自分こそがピアノを発明したとも言っているが、残念ながら彼の作ったとされるピアノは現存しておらず、真偽のほどは不明である。
続いてシュレーターから少し遅れて、ジルバーマンという人物が1730年に最初のピアノを作ったとされている。彼はバッハにも自分のピアノを試してもらう機会を得たが、残念ながら最初は好評を得ることができず、努力を重ね、ついに晩年のバッハには改良したピアノで賞賛を得たという記録が残されている。
その後、ジルバーマンの弟子であるシュタインへと続き、ウィーン式のアクション(後にシュタインの子供がウィーンへ引っ越したためウィーン式と呼ばれる)のスクエアピアノへと発展していった。