◆ピアノ以前の楽器
鍵盤楽器には大きく分けて3種類あります。
チェンバロのような撥弦楽器、これはギターのように弦を弾いて鳴らす楽器です。
ピアノやクラヴィコードのような打弦楽器、これは弦を叩いて鳴らします。
そしてオルガンやパイプオルガンはサックスやクラリネットなどのようにリードを鳴らす管楽器なのです。
ピアノは鍵盤楽器の中でも打弦楽器と呼ばれる種類で、これは弦楽器の中では比較的新しい部類と言えます。
◆ピアノの歴史と社会
1.イタリアで誕生したピアノ
ピアノが発明された当時、市民にとって鍵盤楽器とは教会を中心としたオルガンでした。
加えていうならば、当時のオルガンはパイプオルガンだったため、鍵盤楽器は庶民が所有する楽器ではありませんでした。
また、イタリアではルネサンス以来の流れを引き継ぎ、楽器には華美な装飾が施されていました。ピアノもその例に漏れず、その多くは装飾を施された美しい芸術品ともいえるものでした。
このような事情から、ピアノを所有することができたのは主に王侯貴族だけでした。そして、ピアノを発明したと言われるクリストフォリも貴族のパトロンを持つことで生計を立てていたのです。
2.ドイツで楽器としての発展を遂げる
イタリアはルネサンス期の終わり頃からスペインやフランスによる侵略を受け、急速に国力を弱めました。
さらに貿易の中心も地中海から大西洋岸に変わったことで経済的に打撃を受けます。
このような状況の中、きらびやかな美術品だったピアノに楽器としての命を吹き込むことになったのはイタリア人ではなくドイツ人でした。
ドイツには古くから職人の間でマイスター(徒弟)制度があり、中世ヨーロッパでは親方と弟子のしっかりとした基盤がありました。
ピアノが市民の手に渡るようになるには、その絶対数が必要となります。
しかし、職人が一人で手作業で作るには限界があります。それに、少人数で製作した場合、結局は値段が高くなり、贅沢品となってしまいます。
それを、分業にすることで、徐々に市民の楽器へと変貌させていったのです。
3.産業革命によるピアノの普及
ピアノの普及には18世紀初頭、ヨーロッパでいち早く産業革命を始めたイギリスがこの使命を果たすことになりました。
それまでピアノ製造においては後進国だったイギリスのピアノ製造にとって幸運だったのは、1756年から1763年にヨーロッパ大陸で起こったドイツ(プロイセン)とオーストリアの七年戦争を逃れ、一部のドイツ人がイギリスへと渡ってきたことです。
特にドイツのピアノ製造の大家であったジルバーマンの12人の弟子たちが遅れていたイギリスのピアノ製造の技術が格段に進歩させました。
その結果、イギリスは急速に技術力を高め、ピアノの先進国へと変貌することとなりました。
しかし、その後、再びピアノ製造の流れはヨーロッパ大陸に戻ります。
今度は強力な王権のブルボン王朝に支配されたフランスがその中心となりました。
潤沢な資金を持つブルボン王朝の庇護のもとで、かつての美術品としての性格を受け継いだ華美なだけでなく、デリケートな演奏に耐えうるピアノが作られます。
しかし、これは良くも悪くも王侯貴族の趣味が反映されてしまったのです。
フランスのメーカーは当時建設され始めた巨大なコンサートホールとそれにあわせたピアノ曲に対応できるピアノの製造という意識を欠いていました。
4.戦争によるピアノ製作の中心の変化
たび重なる戦争による荒廃がヨーロッパ大陸の工業力を鈍らせてしまったこともピアノの発展を大きく妨げたといえるでしょう。
その結果、ヨーロッパのメーカー達は音量を出すためにいち早く総鉄骨を採用したアメリカのメーカーにその地位を追い抜かれることとなってしまいました。特に第1次世界大戦以降、世界で最も優れた工業力と資金を背景にアメリカがピアノの世界でもトップに立ったのです。
しかし、そのアメリカも工場生産能力に優れた日本に高度経済成長時代を通じてその地位を脅かされ、生産数においては現在日本が世界一になっています。