オーストリアとピアノの出会い
ピアノが発明された18世紀初頭、オーストリアとドイツは七年戦争やオーストリア継承戦争など政治的にはたびたび緊張関係にあった。
しかし、民衆としての視点から見ればオーストリアとドイツは同じゲルマン民族の国家であり、さらに、オーストリアはドイツの一部であるという考え方が根強くあったのも事実である。
その意味でドイツの大ピアノ製作者であったジルバーマンの弟子、シュタインの息子たちがウィーンへ移ったのもそれほど珍しい話ではなかったのかもしれない。
シュタインのピアノはモーツァルトのピアノを製作したことで知られるワルターと並び、ウィーンを代表するようになった。そして、シュタインの娘、ナネッテ=シュタインとその夫アンドレアス=シュトライヒャーはベートーヴェンとも交流が深かったことでも知られている。
ピアノの発展には音楽家の力は不可欠と言える。ピアノがピアノ曲とともに発展してきたという背景からも、当時ヨーロッパ最高の音楽都市だったウィーンでピアノの製造が始められたのも自然な話だろう。
現在、日本で知られるような有名なメーカーはほとんど残っていないが、この時代をリードしていた国の一つであることは容易に想像がつくと思う。
◆オーストリアのピアノメーカー紹介