サン=サーンス

Charles Camille Saint-Saens【1835年10月9日-1921年12月16日】

Saintsaensクラシックの作曲家の多くがそうであるようにサン・サーンスもまた、神童であった。

彼が3歳で作曲を始め、10歳でリサイタルを開いたことも驚く程のことではないのかもしれない(このときすでにベートーヴェンの32曲のソナタを全て弾くことが出来たとしても)。

さらに彼は音楽の神童から天才へとその才能を開花しただけではなく天文や自然科学の分野でも研究を行い、著書も多数出版し、さらに詩を吟じる人でもあったという。

さらに教育者としても優れ、26歳のときにニデルメイエール古典宗教音楽学校の校長となり、フォーレとの関係はその後終世続くこととなった。

普仏戦争後で、ワーグナーがフランスでは禁忌とされていた時代に、ワーグナー音楽を演奏し多くのバッシングを受けたが、彼は自分の求める音楽を表現することに妥協は無かった。しかしこの行為から愛国心が無かったとは一概には言えない。例えば第1次大戦時は逆にワーグナーに対する批判を行い、ドイツはもとよりフランスでもバッシングを受けてしまった悲運もあった。

彼は最期の時まで世界的に人気があり、86歳で死ぬときも演奏旅行の最中で、音楽家として70年以上現役でい続けた偉大な芸術家である。

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□シャルル・カミーユ・サン=サーンス 略歴

1835年 パリで生まれる
1837年 伯母からピアノを学び始める
1838年 作曲を始める
1848年 パリ音楽院に入学
1853年 パリのサン・メリー教会のオルガン奏者となる
1875年 マリー・ロール・エミリーと結婚
1878年 長男・次男が相次いで死去
1881年 エミリーを旅先において逃避
1888年 母死去、ロンドンに逃避
1913年 オックスフォード大学から名誉博士号をもらう
1921年 アルジェにて死去