ワーグナー

Richard Wagner【1813年5月22日-1883年2月13日】

Wagnerワーグナーは1813年、ドイツのライプツィヒに生まれた。

彼の父親は警官だったが、ワーグナーが生まれて半年後に死んでしまい、翌年母親が、俳優であったルートヴィヒ・ガイヤーと再婚した。

ワーグナーは、特別楽器演奏に秀でていたわけではなかったが、少年時代は音楽理論を、トーマス教会のカントル(合唱長)から学んでいた。

これが後の彼の作曲に大きな役割を果たすことになる。

23歳の時には、マグデブルクで楽長となり、ミンナ・プラーナーという女優と結婚した。

1839年ワーグナー夫妻はパリに移り、貧困生活を味わった後、彼のオペラ「リエンティ」の成功で、ザクセン宮廷の楽長となった。

しかし幸せは長く続かず、ドレスデンで起こった革命に参加した罪で、彼は亡命を余儀なくされる。スイスに逃れた彼は、友人の助けで作曲を続け、1864年、やっとドイツに帰国することが出来た。

とはいえ、仕事もなく、彼は借金まみれになってしまった。そのときバイエルンの国王で彼の熱烈な崇拝者だったルートヴィヒ2世が救いの手を差し伸べてくれた。彼らの友情は長続きしなかったが、その後ワーグナーはスイスに居を構え、1870年リストの娘であるコジマと再婚し(ミンナは少し前に死去)、バイロイト音楽祭を開くなど世界的な名声を得た。

彼のオペラはそれまで付録のようについていた台詞を音楽と一体化させるという革命的なもので、多くの作曲家に影響を与えた。しかし、第2次大戦中ナチスによって彼の作品が使用されたため、戦中戦後は正当な評価を受けることが出来なかった。

□リヒャルト・ワーグナー 略歴

1813年 ドイツで生まれる
1836年 ミンナ・プラーナーと結婚
1839年 パリに移る
1842年 ドイツに帰る
1849年 ドイツの三月革命に参加
1864年 ドイツへの帰国が許される
1866年 ミンナが死去
1870年 コジマと結婚
1876年 バイロイト祝祭劇場が完成
1883年 死去