Gabriel Faure【1845年5月12日-1924年11月4日】
ガブリエル・フォーレは、1845年、南フランスで生まれた。
彼は礼拝堂で音楽を学んだので、人生の半分以上をキリスト教の教会オルガニストとして過ごした。
交友関係においては彼が9歳から入っていたニデルメイエール古典学校に、16歳のときサン・サーンスが20歳でピアノ科の教授として赴任してきてから、2人は終生の友となった。
彼がラヴェル事件後、パリ音楽院の院長に就任したのも、サン・サーンスなどの力添えが大きかったとされている。
また、あまり知られていないがフォーレはサロンで愛された作曲家の1人でもあった。フォーレはショパン同様、サロンでその名を広めたのである。
また、教育者としても優れており、音楽院の改革で、大きな功績をあげた。例えば、当時のパリ音楽院には、ドビュッシーやコルトーなども教授として名を連ねていた。
しかし、もともと病気がちだった彼に聴覚障害が起こる。それが原因でパリ国立音楽院の院長辞職を早めた。しかし、その後の作曲活動の多さから考えると、彼の作曲はベートーヴェン同様、頭の中で行われていたのだろう。彼の葬儀の際には、本人の作曲した「レクイエム」が歌われた。
□ガブリエル・フォーレ 略歴
1845年 フランスで生まれる
1854年 ニデルメイエール古典宗教学校に入る
1861年 サン・サーンスがピアノ科教授となり、以降親しくなる
1866年 レンヌの教会オルガニストになる
1877年 マリアンヌとの結婚を破棄する
1883年 マリー・フレミエと結婚
1896年 パリ国立音楽院の教授になる
1903年 聴覚の障害が起こり始める
1905年 パリ国立音楽院でラヴェル事件が起こり、院長になる
1920年 聴覚障害から院長を辞職
1924年 パリにて死去
□フォーレのピアノ以外の作品
レクイエム (Requiem)【1887年作曲】
1887年作曲され、1888年にマドレーヌ寺院でフォーレ自身の指揮によって初演された。
フォーレの中期作品の傑作といわれている。レクイエムにしてはあまりに美しすぎ、宗教色が無いため、当時教会からは賛否があった。
しかし、フォーレ自身この作品は人間的であり、死への開放感や喜びを表現したと述べている。