Paul Abraham Dukas【1865年10月1日-1935年5月17日】
デュカスはパリで1865年に生まれた。
パリ音楽院で学び、1910年から同音楽院の教授となった。
ワーグナーに傾倒したり、ドビュッシーと親交を深めるなど様々な人、様々な音楽的派閥と親しく付き合ったが、彼自身はどこにも属しなかった。
もともと寡作の作曲家で一曲に10年もかけるなどするほどであった。さらに本人の認知した曲は13曲しかないうえに死ぬ間際、多くの作品を焼き捨てるなどしたため自筆の楽譜は残っていない。
また教育者としても優れており、彼の弟子にはメシアンなど20世紀を代表する作曲家がいる。
名前は「デュカ」「デュカース」などとも表記されることがある。