Olivier-Eugene-Prosper-Charles Messiaen【1908年12月10日-1992年4月27日】

メシアンは1908年にフランスのアヴィニョンに生まれた。
8歳から作曲を始めるなど音楽的才能に溢れた人物で、1919年、11歳でパリ音楽院に入学しデュカなどに師事した。
そして、1931年サン・トリニテ教会のオルガニストに就任し、1934年、25歳で「キリストの昇天」を発表した。
さらに1936 年、ジョリベらとともに「ジュヌ(若き)フランス」を結成したが、第2次世界大戦が勃発すると従軍し、ドイツ軍の捕虜となった。
その時収容所内で作曲したのが、「世の終わりのための四重奏曲」である。
1942年パリに戻った彼は母校であるパリ音楽院の和声学の教授になり、この時期多くの作品を書いた。
特に1949年の「トゥーランガリラ交響曲」はアメリカで初演され大きな話題となった。さらに彼の業績はブーレーズなど多くの作曲家に影響を与えた。