ショパンに愛されたプレイエルは、同時に音楽家を育て、音楽の普及に努めたメーカーでもあった。
◆プレイエルの歴史

その後、1824年、イグナッツの息子カミーユ・プレイエルは、父から会社を譲り受けた。彼も父同様音楽的才能を持ち、多くの作曲家を支援した。特に1827年に演奏ホールを作り、ショパンやサン・サーンスなどの演奏会を開いたことでも有名である。
ちなみにこのような事業はスタインウェイなども行ったが、実際これが良い宣伝となり、名声を確立したのである。

Salle Pleyel(サル・プレイエル)というこのホールは1928年に火災に見舞われたり、世界恐慌のあおりで買収されたりと紆余曲折を経て、2007年復元された。
また、プレイエルは当時面白いピアノを何台も作っている。作るのが大変だったり、機能的ではないとして今日では残っていないが、写真のようなデュエット用のピアノや2段鍵盤のピアノを作ったといわれている。
◆プレイエルのその後
プレイエルは戦後1961年にガヴォー、エラールを吸収合併し「プレイエル・ガヴォー」になったが、1971年には倒産してしまった。
その結果ドイツのシンメル社に製造委託することとなった。フランスのピアノ会社がこの時いったんなくなることとなった。
しかし、フランスに国産メーカーがなくなったことをフランス政府が憂慮し、政府の援助によってプレイエル・ガヴォーの技術者を集め、「ラモー(Rameau)」というピアノメーカーを設立した。1994年にラモーが、プレイエル、エラール、ガヴォーを買い戻し、「フレンチ・ピアノ・マニュファクチュア」という会社名となって国内にピアノ会社が復活した。
さらに1996年社名を「PLAYEL&Co.」とし、工場もプレイエル工場と名付けられ、フランスピアノ製造の伝統を守っていた。
その後、経営不振などから2000年代に入ると受注生産に切り替わり、年間10台程度の販売となった。
結局2013年に生産中止が発表された。
◆プレイエルで録音されたCD紹介
アルフレッド=コルトーは1877年にスイスで生まれ、直接ショパンから指導を受けた経験のある先生からも授業を受け、ロマン派のショパンやシューマンに定評があります。フランスのエコール・ノルマル音楽院で教師としても高い評価を得ました。
コルトーはロマン派から続く流れを受け継いだ演奏家で、彼は特にプレイエルを愛好したと言われています。

