◆George Shearing【1919年8月13日~2011年2月14日】
イギリス出身の盲目のピアニストである。
本人は「たまたま盲目に生まれたジャズも弾くピアニスト」と自分を表現していたそうである。
実際ジャズだけでなく、バッハ、モーツァルト、ディーリアスなどクラシックの作曲家の作品も演奏し、アメリカのオーケストラと何度も共演している。
1918年、イギリスのロンドンで生まれたシアリングは3歳の時にラジオから流れる曲をピアノで弾いていたという。
ジャズと言えばアメリカという印象があるが、イギリスでも昔からジャズ人気は高かった。
第2次世界大戦前後にかけて、イギリスで録音を開始したシアリングは瞬く間にイギリスナンバーワンのピアニストとなった。そして戦後アメリカから来たミュージシャンにたびたび誘われ、アメリカ、ニューヨークへと移住した。
アメリカに渡ったシアリングはピアノトリオを結成していたが、49年にギターとビブラフォン(ヴァイブ・鉄琴の一種)を加えてクインテットを結成、右手で4音のコードと小指でメロディラインを弾き、左手で重ねて弾くロックハンド奏法で有名になった。
このクインテットで50年代のラテンジャズを牽引したとも言われているが、同時にシアリングの洗練された音楽性からポピュラー音楽という見方もされることが多く、60年代まではジャズファンからはそれほど注目を浴びなかったとも言われている。
しかし、80年代になって再びピアノトリオの録音はジャズファンに衝撃を与え、その才能をいかんなく発揮したのである。
ジョージ・シアリングの有名な作曲としては52年にバードランドのオーナーからラジオで使う曲を依頼され、「バードランドの子守歌」でこれはジャズのスタンダードになるほどの傑作である。
また、インタビューによると特に影響を受けたピアニストはアート・テイタムでソロピアノにおいて、「完璧なピアニスト」と表現している。電子楽器に関しては否定的で「個性や音質、ピアニスティックなアプローチを剥ぎ取る」と言い、例えば、チック・コリアやハービー・ハンコックについては電子楽器によるプレイよりも初期のピアノの作品を評価している。
ピアノメーカーではボールドウィン、ハンブルグ・スタインウェイ、ベーゼンドルファーを好んで弾いている。