ブルックナー

Anton Bruckner【1824年9月4日-1896年10月11日】

Brucknerブルックナーは、1824年オーストリアの小学校の教師の家に生まれた。

彼は、17歳で小学校の助教師となり、翌年にはさらに大きな学校に勤めた。そして幼い頃過ごした聖フローリアン修道院に戻り、そこで彼はオルガン演奏を学び、オルガニストとして活躍を始めた。

32歳のとき、当時彼の住んでいた地方で最高の職であった、リンツ市の大聖堂オルガニストとなったのである。

彼は敬虔なクリスチャンで、性格はとても謙虚であった。彼はオルガニストの仕事の傍らウィーンへ出かけ、作曲技法を学んだ。

ブルックナーは教えを受けた後テストをしてもらわなければ気がすまなかったようで、合格証書を受けるまで満足しなかったと言われている。

1876にはウィーン音楽院で、理論を教えるために試験を受けた。このときブルックナーがあまりに難しい問題を解いたため、教授陣は「ブルックナーこそ我々を試験すべきだったのだ」と言ったという。彼は無事試験に合格し、ウィーン音楽院教師となり、さらに宮廷オルガニストにも任じられた。

そして1891年ウィーン大学から名誉学位を授けられ、晩年は皇帝のベルヴェデール城に住むことを許されたのであった。また、ブルックナーはワーグナーを尊敬し、彼と会ったときには額を地面につけるほど深々とお辞儀をしたと言われている。なお、様々な分野で高い評価を受けながら、肝心の作曲は生前全く評価されなかったというから、むしろ驚きである。

□アントン・ブルックナー 略歴

1824年 オーストリアで生まれる
1841年 ヴィントハークという村の助教師として雇われる
1844年 聖フローリアン修道院のオルガニストになる
1856年 リンツ大聖堂のオルガニストになる
1867年 ウィーン音楽院の教授となる
1870年 宮廷オルガニストになる、ウィーン大学から名誉学位を受ける
1896年 ウィーンで死去