クナーベ(Knabe)

クナーベは人間の声に近いシンギングトーンを持ちアメリカのピアノの中で最も美しい音を出すピアノであった。

◆クナーベの歴史

クナーベの創始者ウィリアム・クナーベは1803年ドイツに生まれた。

彼は大学まで行き、優秀な成績を修めていた。しかし、理由は不明だが、突然その情熱をピアノに向け、ピアノの製作技術を学びだしたと言われている。

そして彼は30歳の時にアメリカに移住し、南部のボルティモアで1837年ピアノメーカーを立ち上げた。当初はガエールという共同経営者がいたが、1854年に彼が引退してからはクナーベ一人で切り盛りすることとなった。

一人になったクナーベだが、クナーベは持ち前の頭の良さと努力によりどんどん事業を拡大し、1861年の南北戦争の頃には南部アメリカの多くの地域にシェアを持つ大メーカーとなっていた。

しかし、南北戦争がクナーベの隆盛を踏みにじることとなった。

南北戦争でアメリカはボロボロになり、ピアノどころではなくなってしまったのである。

もちろん、クナーベの工場も例外ではなく、南北戦争は売れない在庫を残し、多くの社員を抱え、失意の中ウィリアム・クナーベは引退した。

ではこのつぶれかけの会社を立て直したのは誰だったのだろうか。

それは2人の息子だった。兄は実直でおとなしい性格、それに対して、弟は挑戦的で積極的な性格だった。

彼らが父親の跡を継いだとき、まず最初にしなければいけなかったのは大量の在庫の処分と社員たちの給料の工面であった。弟は銀行に出向き、「自分たちの担保はクナーベという名前だけだ」と啖呵を切ることでなんと融資を得たのである。

それだけ当時のクナーベというブランドは力を持っていたとも言えるのだが…。

さらに、弟は南北戦争であまり荒廃しなかった西部に目をつけた。兄に会社を任せると大量のピアノを持ち、セールスの旅に出たのである。この旅で、弟はなんと全ての在庫を売り切り、さらに注文までとってきた。

この結果、会社も倒産を免れ、大メーカーとして立ち直ったのである。

クナーベのピアノの特徴はその美しい音色であり、何度も博覧会で最高賞を取るアメリカ随一のピアノメーカーであった。

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