◆Oscar Emmanuel Peterson【1925年8月15日~2007年12月23日】
1925年、カナダのケベック州、モントリオールでピーターソンは生まれた。両親は西インド諸島出身でそれぞれカナダに出てきて出会った。
母親はコック、父親は船乗りだった。
兄がトランペット、姉がピアノを弾いており、オスカーも5歳からピアノとトランペットの手ほどきを父から受けていたが、7歳で結核を患って1年近く入院してからはピアノ一筋となった。
最初はピアノにはそれほど興味がなかったが、兄がジャズを勉強し始めて興味がわいたとインタビューでは答えている。
彼のピアノのテクニックは才能などという一言では済まされないほどの練習によって作られている。
少年時代の彼は毎日朝9時から12時、午後は1時から7時、さらに「寝なさい」と怒られるまで18時間練習していたという。
その甲斐あってピアノのテクニックはめきめきと上達したのだが、手の腱鞘炎に悩まされることとなり、後にはたびたびライブを中止せざるを得ないことにもつながった。
また、彼がジャズの道に深く入っていくことになるのは少年時代にアート・テイタムの演奏を聴いてからだという。調子に乗っていたオスカーをたしなめる意味で父親からタイガー・ラグのレコードを聞かされたのだそうだ。
彼の言うことをそのまま書くと、「最初は連弾かと思った。ところが1人でこれを弾いていると知って、1ヶ月くらいピアノを弾く気を失くしちゃったんだよ。練習しても望みがないと思ったんだ。」
後に1950年代初めにテイタムとは実際に出会い、目の前で演奏するのだが、憧れのテイタムの前ではビビってしまったという。特に彼の生演奏を聴いて「悪夢だった」と言っている。テイタムとは親しくなったが、その後もしばらくは恐怖症が残ったんだとか。
さて、ピーターソンのデビューだが、1945年頃からカナダに来たジャズメンたちの中ではちょっと有名な存在だった。ディジー・ガレスピーは「この土地にとてつもないピアニストがいるんだ。
こんな凄いピアノは、誰も聴いたこと、ありっこないね。」と電話で話している。
しかし、実際にデビューしたのは1949年、プロデューサーのノーマン・グランツに見出されたことがきっかけであった。
グランツがピーターソンを知ったのは本当に素晴らしい偶然で、グランツのカナダ出張の帰りのタクシーでたまたま生放送のピーターソンの演奏が流れていたのである。グランツは飛行機で帰るのを取りやめ、すぐにピーターソンのもとに向かった。そしてカーネギーホールでのデビューを飾った。
さらにグランツは積極的にピーターソンに録音をさせた。最初はベーシストとのデュオから始まり、ベースのレイ・ブラウンと出会う。彼はデビューも同じ時で、既にディジー・ガレスピーのビッグバンドでスターとなりつつあった。
1953年ギターのハーブ・エリスを加え、ギタートリオとなった。
それに並行してグランツ自身がマネージャーを務めるエラ・フィッツジェラルドやその他の大御所カウント・ベイシー、ルイ・アームストロングなどとのセッションも数多く行い、1955年にはイギリスのジャズの人気投票で1位を獲得するなど人気を不動のものとしていった。
ピーターソンは「グループが作りたい音を深いところで見つけたのはこのグループが最初だった」と述べている。
しかし、1958年、ハービーが演奏旅行に疲れ、グループを抜ける。その際「ハービーの休息は私をダメにした」とピーターソンは言っている。
しかし、ともかく新しいギターを入れるなどしてみたが、しっくりこなかったのか、ギタートリオでできることはやり尽くしてしまったのか、それとも、ピーターソンが言う「ドラムを入れたトリオでもできることを証明したかった」のか、ドラマーを探し始めた。
そして1959年、兵役中だったエド・シグペンに会いに日本まで来て、彼をメンバーに加えた新たなトリオを結成した。そしてこのトリオでピーターソンはさらに人気も絶頂とする。
長い間ジャズピアノの巨匠として君臨してきたピーターソンだったが、1993年脳梗塞で倒れ、その後リハビリでかなり回復したが、2007年に腎不全のため亡くなった。
ちなみに1999年に日本で、高松宮殿下記念世界文化賞を受賞している。
ピーターソンはその超絶技巧から「鍵盤の皇帝」と呼ばれ、トリオもピーターソンのワンマンと言われたこともあったが、自身もそれについて肯定しながら「トリオとしてどんなサウンドになるのか、それを重視してピアノを弾いている」と言及している。ベースやドラムに刺激されながらひとつの音楽を作っているとのことである。
□使用ピアノメーカー
□オスカー・ピーターソン DVD紹介
Jazz Icons: Oscar Peterson Live in '63, '64 & '65 [DVD] [Import] レイ・ブラウン、エド・シグペンと共にトリオを作っていた時代のライヴ盤、We Get Requestsが気に入った方ならぜひ映像でも楽しんでください。 | |
ライヴ・イン・東京 1987 [DVD] 史上最高のジャズ・ピアニストの一人であるオスカー・ピーターソンとそのレギュラー・トリオ(マーティン・ドリュー、デヴィッド・ヤング)が、「ヴァチュオーゾ=名人」と呼ばれる名手ジョー・パス(g)とともに1987年の東京で行なったライヴ映像名作。 | |
ベルリン・コンサート1985 [DVD] 85年にベルリンで行ったライブを収録。ニールス・ヘニング・ペデルセン、マーティン・ドリューと共に、「フー・キャン・アイ・ターン・トゥ」「ブルース・エチュード」ほか、Verve時代の空気感たっぷりのライヴ映像。 |
□オスカー・ピーターソン CD紹介
We Get Requests ピーターソン、ブラウン、シグペンによるジャズの名盤の一枚。スタンダードを心地よいスウィングで聴かせてくれます。テーマやアドリブがはっきりしていて、とてもシンプルでわかりやすい。ピーターソンの技術も凄いけど、あまりに流麗ですごさを感じないほど。ジャズってどうなの?っていう人にもぜひお勧め。 | |
酒とバラの日々~ベスト・オブ・オスカー・ピーターソン オスカー・ピーターソンのベストアルバムです。まずはこれを聴いてみるというのもありじゃないかと思います。ベストだけあって、どの曲もハズレがありません。 | |
ジャズ・クラブ~フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン 誰でも知っているような名曲やポップスをジャズにアレンジした1枚。晴れた日にカフェや外でゆっくり聴きたくなるようなアルバムです。 | |
In Russia ジェイク・ハナというドラマーと組んで、1974年に行われたツアーの録音。度重なる検閲などの面倒もあったが、ソ連の聴衆の熱狂もあり、音楽的には成功したとのことです。 | |
エラ・アンド・ルイ エラ・フィッツジェラルドとルイ・アームストロングの共演だが、ピーターソン、ブラウン、エリスが参加している豪華な1枚と言える。 |