キース・ジャレット

Keith Jarrett【1945年5月8日~】

キース・ジャレット & ゲイリー・バートン

キース・ジャレットは1945年アメリカのペンシルバニア州の音楽好きの両親のもとに生まれた。

3歳からピアノを学び始め、ピアノでも才能を発揮する一方で小学校も飛び級で3年生から入るなど、多才な子供であった。

しかしジャレットが11歳の時に両親が離婚、経済的に苦しくなった中でも彼のピアノは続けさせていたが、15歳の時にそれまで習っていたクラシックのレッスンをやめ、クラシック以外、特にジャズに傾倒する。

そして16歳でジャズクラブのピアニストとしての仕事を得た。

さらに1963年、18歳の時に奨学金をもらえることが決まり、バークリー音楽大学に入学し、ボストンに移ったが、1年で退学、このころの彼は生活が苦しく、コマーシャルの演奏など気の乗らない仕事もした。

1964年には、ボストンに出てきた高校時代からのガールフレンドと結婚した。しかし、やはり生活は苦しく、妻の仕事で生活しているようなものだったという。彼の音楽活動としてはバークリー音楽大学で教師だった2人とトリオを組んでいたがやはり成功しなかった。

しかし、ある日転機が訪れる。たまたまセッションをしていたところ、キャノンボール・アダレイ六重奏団のサックス奏者であったチャールズ・ロイドがそれを聴き、ジャレットにニューヨークに行くことを薦めた。19歳のときである。

ニューヨークに新たな拠点を移したジャレットだったが、やはり上手くはいかない日が続いた。ジャレットはヴィレッジ・ヴァンガードに通い、セッションに参加する機会を待った。このために何カ月もヴィレッジ・ヴァンガードに通った。

そして幸運にも初めて演奏する機会を得た時に偶然アート・ブレイキーがその場にいたのである。アート・ブレイキーは当時ちょうどメッセンジャーズの新しい編成を考えており、その日にジャズメッセンジャーズ入りを勧誘された。

残念ながらアート・ブレイキーとの関係は4カ月で終わってしまったのだが、このメッセンジャーズに入ったことでジャレットの名前はある程度広まることとなった。

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ジャレットがジャズメッセンジャーズをやめる事を決めた時、彼はチャールズ・ロイドに電話をした。折しもロイドは新しいバンドを考えており、ピアニストとして採用された。このチャールズロイドのカルテットは大成功し、特にドラムのディジョネットとの友情はその後も長く続くこととなる。

1960年代はロイドカルテットを中心に活動していたが、結局音楽性、金銭面などが原因となりカルテットから脱退した。そして初期のビル・エヴァンストリオのドラムのポール・モチアン、ベースのチャーリー・ヘイデンとともにトリオで録音するなど活動をした。

 

実はチャールズ・ロイドカルテットに入っていた頃から、ジャレットにジャズの王様マイルス・デイヴィスから誘いがかけられていた。そして1970年にマイルスバンドに加入した。当初はチック・コリアとともにオルガンを担当したが、チック・コリア退団後は一人でキーボードとオルガンを弾くようになった。マイルスバンドには1971年まで在籍したが、退団した。

 

ザ・ケルン・コンサート [SHM-CD]

マイルスバンド退団後からソロおよび実験的な音楽を開始する。

モティアン、ヘイデンらと組んだ「アメリカン・カルテット」、さらに「ヨーロピアン・カルテット」を結成、アメリカン・カルテットは1976年解散、「ヨーロピアン・カルテット」も1979年解散。

しかし、この2つのバンドは来日し、ヨーロピアン・カルテットの「プリズム」は日本に来る飛行機の中で作曲したと言われている。

 

ソロでは1972年からソロの即興演奏のコンサートを行い、ザ・ケルン・コンサートなどの名盤を生み出した。

1980年代に入るとジャレットはクラシックにも興味を示し、ブーレーズやストラヴィンスキーを演奏するようになった。1984年からはクラシックに専念し、ショスタコーヴィチ、ベートーヴェンなどのコンサートをニューヨークで成功した。しかし、結局ジャズこそが自分の音楽であるということが分かったということである。

その後も順調に活動していたが1996年のイタリアでのコンサート中に慢性疲労症候群という病気になり1999年まで活動を休止した。そしてThe Melody At Night, With Youで復活し、その後も精力的に活動している。

Rio
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□キース・ジャレット CD紹介


ザ・ケルン・コンサート [SHM-CD]
完全即興で演奏され、名盤として世界中で売れた録音です。

前日からの移動で一睡もせず、食事も満足にとれていない状態でのコンサートだったということです。
さらにひどいことには、ベーゼンドルファーがコンサート会場の近くに2台あり、片方は良い状態、片方は良くない状態だったのですが、ミスで良くない方が入っていたそうです。
そのため、前半は出来るだけピアノに合わせて中音域を多用しているとのことです。

バターコーン・レディ
ジャズメッセンジャーズに入ったキース・ジャレットの初めての録音です。アートブレイキー&ジャズメッセンジャーズですし、ジャレット自身も若かったのでキース・ジャレットらしい演奏を期待せずに一度聞いてみては?

フォレスト・フラワー
チャールズ・ロイドカルテットの初期のアルバムにしてベストのアルバムです。カルテットになってジャレットの存在感は大きく、随所にジャレットらしさが残されています。

The Melody At Night, With You
1998年に自宅のスタジオで録音されたアルバムです。

1996年から慢性疲労症候群に苦しんだジャレットの復活を印象付けました。
キース・ジャレットには珍しいスタンダード集で美しいメロディです。

ケルンコンサートがイマイチっていう人におススメしたいです。

Rio
最近の録音です。

リオでの即興コンサートですが、ジャレット自身が絶賛する内容となっています。

リオという土地柄か明るい演奏で気持ちの良いCDです。