◆Edward Kennedy “Duke” Ellington【1899年4月29日~1974年5月24日】
デューク・エリントンは1899年ワシントンD.C.で生まれた。
エリントンが生まれた頃父親はホワイトハウスの馬車の御者を勤めるなど経済的にも裕福な部類であった。
父親の影響からか、上品で、自信に溢れた振る舞いのせいで、学校では早くも「デューク」とあだ名されるようになった。
ピアノは両親が弾くため、自然に弾くようになり、15歳頃に作曲も始めたと言われている。また、当時ラグタイムのピアニストたちに夢中になり、彼らのことを「音楽教育は受けていないけれど、とってもすごい」と語っていた。
高校時代までは音楽よりも美術に興味があったエリントンだったが、最初のバンドは高校の友人と組むことになった。最初のバンドはエリントンのピアノ、友人のミラー3兄弟のギター、ドラム、トロンボーンの4人で始め、そこに友人たちのベースやアルトサックス、トランペットが加入した編成だった。
後に至るまで、酒や食べ物にこだわり、大酒飲み、大食らいでも有名なエリントンだったが、この最初のバンドの評判を落とさないようにするため、当時酒を自制したという。
しばしば出てくるエピソードにを見ると、エリントンは当時のジャズマンたちと比べると例外的に自分を律し、規則的でマトモな生活を送っている。これは周りの環境ではなく本人の資質によるものだろう。まさに「デューク」である。
1919年、ワシントンにいたエリントン達のもとにニューヨークに行っていた友人が帰ってきた。彼の話を聞きニューヨークへの憧れを強めたエリントンは居てもたってもいられずニューヨークへ向かうことにした。
ビリヤード場などで演奏をしながら有名ビッグバンドに参加するなどして生計を立てていた彼らに転機が訪れるのは1927年のコットンクラブのオーディションであった。
コットンクラブは20年代の禁酒法時代にギャングのオーナーのもと、ニューヨークのハーレム地区で栄えた高級ナイトクラブで、客は全て白人、それも金持ちや名士でないと入れなかった。例えば、ガーシュインやチャップリンなどが客として来ていた。また、演物として黒人のジャズが有名で、アームストロングも歌っていた。
オーディションに合格したエリントンはこれを機に11人編成のバンドとし、多くの曲を作曲。さらに、ニューヨークに来てから1年ほど後に出会ったアーヴィング・ミルズのマネージメントでこの後エリントン楽団は急速に知名度を上げていくこととなる。
ミルズは大物演奏家とエリントン楽団を共演させ、映画に出演させ、演奏旅行を手配、レコードの作成など、当時の黒人差別の残る時代に様々なところでエリントンを支えた。さらに、1933年にはイギリスのロンドンで公演し、本物のジャズを求めるロンドンのファンを相手に大成功を収めた。
しかし、順調に物事が進むかと言えばこの後1940年代まで、エリントンは多くの別れを経験する。1935年、36年に両親を続けて失い、1939年にミルズとも決別する。さらに、オリジナルメンバーが亡くなったり脱退したりとエリントンにとって辛い時代となった。
また、1950年代はアメリカ全体の不況により、多くのビッグバンドが縮小、解散するなど苦しい時代となったが、エリントン楽団は必死に耐え忍んだ。
この頃、エリントンは終わった人のように言われることもあったが、1956年のレコードでエリントンの名前を再び世に送り出した。その後は亡くなるまで、精力的に演奏旅行、作曲を行い、1974年、肺がんで亡くなった。
エリントンの業績は様々にあるが、ジャズや黒人音楽を世界に広めたことにある。エリントン自身が「自分たちの音楽をジャズとは思っていません。『黒人音楽』だと思っています。」という言葉もコットンクラブ時代に残しているが。人生の後半の評価が低いのも、ジャズというよりも黒人音楽を目指したことにより、時代とズレたのも原因かもしれない。
彼のピアノは楽団全体を見渡したものであり、ピアニストとしてのソロがほとんどないため、評価されにくいが、初期から既に、「周りのメンバーや雰囲気に合わせてスタイルを変えることができた。」とも、後に「彼が華やいだ気分の時は楽団の音が華やいだ。」とも言われていることからも周りを活かすために、いくらでも変化するそのピアノは他のピアニストに劣らないテクニックを持っていたと言えるだろう。
□デューク・エリントン CD紹介
DUKE ELLINGTON (Original Album Series) エリントンはA列車で有名ですが、それ以外にもレパートリーは多く、あまり知られていませんが特に様々な組曲を作曲しています。 本人自身が「ジャズだと思って演奏していない。」と言ったことからもわかるように、ジャズと思わず一つの音楽として聴いてください。 | |
ザ・ポピュラー・デューク・エリントン 1966年発表の人気アルバム。 それまでの名曲を集めたベスト盤的な内容で、自らセレクトした11曲を再演。 1000曲とも言われるレパートリーの中の選りすぐりだけあって、どれも名曲中の名曲。 入門書としても価値ある1枚。 | |
ハイ・ファイ・エリントン・アップタウン+1 1950年代、多くの別れを経験したエリントンだが、バンドの看板奏者だったジョニー・ホッジス(のちに戻ってくる)、ローレンス・ブラウン(1960年に戻ってくる)、ソニー・グリアーの3人が揃って退団したことでメンバーが新しくなった際の録音である。 新しいメンバーでどうなることかと思いきや、これが大成功。これをきっかけにエリントン楽団は苦しい50年代を乗り越えた。 | |
コットン・クラブ・ストンプ (Duke Ellington: Cotton Club Stomp) コットンクラブ時代の1927年~31年の録音、Mood Indigoなど有名どころも入っているが、それ以上に音楽の楽しさが前面に出ていて面白い。エリントン好きの方にも、もし聴いていなければおすすめしたい。 |