Antonio Vivaldi【1678年3月4日-1741年7月28日】
アントニオ・ヴィヴァルディは、同じバロック時代のバッハに比べて世俗的な生き方をした人物である。
彼は1678年、ヴェネツィアに生まれ、父親が教会ヴァイオリニストであったため、早いうちから音楽に接し、父親から学んだ。
15歳で剃髪式を受け聖職に入り、10年の間、聖職者となるべく教育を受けた。しかしその間も音楽への関心は高かったのだろう。
25歳で司祭になるとすぐに、教会の孤児院であったピエタ養育院の教師となり、38歳で合奏長になった。髪が赤かったため、「赤毛の司祭」と呼ばれたらしい。
しかし彼は司祭の仕事であるミサをせずに(病気だったから、との説もある)劇場に通い、さらに歌手のアンナ・ジローと同棲してしまった。そして1740年、職を辞し、家財を処分してウィーンに向かったのである。理由については、おそらくオペラへの情熱ではないかと思われるが、定かではない。
ヴィヴァルディは多作で有名であり、協奏曲だけで500以上作曲している。例えば、彼の曲を写譜している人に、「あなたが楽譜を写している間に、新作を作ってみせましょう」といって、本当に作曲してしまったと言う逸話も残っている。
ただ、バロック時代の作曲家は残されている資料も少なく、ヴァヴァルディについても知られていない部分が多い。
□アントニオ・ヴィヴァルディ 略歴
1678年 ヴェネツィアに生まれる
1693年 聖職に入る
1703年 司祭になる、ピエタ養育院のヴァイオリン教師となる
1711年 協奏曲集「調和の幻想」op.3を出版
1716年 ピエタ養育院にて合奏長になる
1725年 「四季」を出版
1740年 ピエタ養育院を辞職し、ヴェネツィアから姿を消す
1741年 ウィーンで死去
□ヴィヴァルディのピアノ以外の作品
ヴァイオリン協奏曲集「四季」(The Four Seasons)【1725年頃作曲】
この作品は1725年ごろ出版された12曲の協奏曲集「和声と創意へのこころみ」の第1番から第4番までである。しかし、1番から4番だけで「四季」として演奏されていることが多い。
この作品は「春」「夏」「秋」「冬」をそれぞれ3楽章ずつで、情景の描写をした作品である。ソロとオーケストラの特にリズム、強弱、スピードの対比と素晴らしい旋律のドラマティックな内容で現在も人気の高い楽曲である。
ちなみに、四季のタイトルはヴィヴァルディ自身がつけたわけではないが、言いえて妙なタイトルである。