Giuseppe Verdi【1813年10月10日-1901年1月27日】
ジュゼッペ・ヴェルディの幼少時代は、多くの謎に包まれている。
その大きな理由の1つに、彼の故郷であるロンコレ村はとても小さな村で、偉人の誕生の理由のために多くの逸話や証言が作られたからである。
ともあれ、彼の生家は貧しい宿屋をしていたが、村の名士から援助を受け、そのおかげで彼は音楽の勉強をすることができたと言われている。
ヴェルディは当時、最先端の考えを持っていたわけでも、特別奇人だったわけでもなく、古くからの伝統的な、家、家族、名誉、国といったものを大切にしていた。
そのため、彼の音楽は当時、政治的に苦しい立場であったイタリア人に、愛国心を抱かせるものであったと言われている。
ヴェルディを語るとき、一般的に彼が無教養な音楽家であったと言われる。例えば、三拍子は決まりきった形で、ロッシーニには行進曲風な強調を馬鹿にされもした。
彼はフーガなどの対位法などはマスターしていたが、後に「オーオケストレーションは誰も私に教えてくれませんでした」と述べているように、技術は無かった。しかし、後にはマーラーなども彼のオーケストレーションから学ぶことになるレベルまで自分の力だけで身に着けていったのである。
そして、彼のオペラは世界中に伝わり、19世紀末にはブラジルでも演奏されていたほど有名になったのである。
□ジュゼッペ・ヴェルディ 略歴
1813年 イタリアにて生まれる
1823年 オルガニストに就任
1825年 バレッツィの支援で音楽レッスンを受ける
1832年 ミラノ音楽院に落ち、ラヴィーニャから個人的に学ぶ
1836年 音楽教師になる、マルゲリータと結婚
1839年 ミラノへ旅立つ