スメタナ

Bedrich Smetana【1824年3月2日-1884年5月12日】

Smetanaスメタナは1824年、オーストリア領ボヘミア(現在のチェコ)の南東部に生まれた。

父親はビールの醸造技師であったが、音楽が好きで、若い時からピアノとヴァイオリンを学んだ。

19歳の時にプラハに出てピアノを学び、音楽教師をしながら作曲活動を行った。

当時民族活動が活発になるにつれ積極的に参加するようになった。

さらに1848年には、フランツ・リストから資金援助を受け、彼自身の音楽学校を創設した。これは現在のプラハ音楽院のもととなっている。

しかし、1874年50歳の時、梅毒によって難聴となり、精神的にも不安定になり始めた。そして1884年には錯乱し精神病院に入り、そのまま亡くなった。スメタナは初めてのチェコ民族的な音楽を作曲した人物であり、チェコ国民楽派の開祖とされている。

□スメタナのピアノ作品

わが祖国(Ma Vlast)【1887年作曲】

この作品は1874年から1879年にかけて作曲され、「ヴィシェフラド」、「ヴルタヴァ」、「シャールカ」、「ボヘミアの森と草原から」、「ターボル」、「ブラニーク」の6つの交響詩で構成された連作交響詩である。

曲の構想は1869年ごろから始まったものとされており、1874年に最初の作品「ヴィシェフラド」が完成したが、その頃スメタナは聴力を失った。

チェコで行われる「プラハの春音楽祭」はこの曲から始められている。スメタナ本人がピアノ用に編曲したピアノ4手連弾版や様々な合唱曲なども作られている。