George Gershwin【1898年9月26日-1937年7月11日】
ガーシュインと言えばやはり、「ラプソディー・イン・ブルー」であろう。
彼はアメリカの夢と苦しみを音楽で表現したと言われているが、まさしく「ラプソディー・イン・ブルー」はジャズとクラシックの融合、メロディでそれを実感することが出来るのではないだろうか。
ジョージ・ガーシュウィンは、1898年にニューヨークに生まれた。彼の人生は、他の作曲家と比べると、明らかに異彩を放っている。
彼の父親は靴のデザイナーであり、音楽家の血筋の多い作曲家の中では珍しい部類に入る。そして1912年、ピアノを習い始めるが、これは彼が14歳の時で、これも相当遅いスタートと言えるだろう。
ガーシュインの才能を感じさせるのは、15歳でピアノの試し弾きの楽器店の職を得ることだろう。その仕事は、店先で新しい楽譜などを弾いてお客を集める仕事であり、これをピアノ歴1年で始められるということは、相当に練習し、才能もあった証である。
そして作曲家となった彼の偉業は、当時主流だったラグタイムやジャズをクラシック音楽と融合させた事である。彼の人生は短く、わずか39歳でこの世を去ったが、彼の残した音楽はメロディーが美しく、黒人音楽を白人音楽と結びつけたと言われている。まさにアメリカを代表する作曲家であったと言えるだろう。
□ジョージ・ガーシュウィン 略歴
1898年 アメリカ、ニューヨークに生まれる
1912年 ピアノを学び始める
1913年 ピアノの試し弾きの職につく
1924年 「ラプソディー・イン・ブルー」初演
1935年 「ポーギーとベス」のオペラ化をする
1937年 ハリウッドにて死去
□ガーシュインのピアノ作品
ラプソディー・イン・ブルー(Rhapsody in Blue)【1924年作曲】
ガーシュインは14歳から音楽を学び始め、ピアノ伴奏や楽譜店で仕事などしていたが、クラッシック風な音楽はなかなか作曲されなかった。
ドヴォルザークの「ユーモレスク」にあこがれて音楽家への道を志した彼が、「本格的な作曲家になりたい」と望んだのも当たり前だろう。
そんなときに彼に指揮者ポール・ホワイトマンから依頼が来て1924年に製作されたのが「ラプソディー・イン・ブルー」である。
初演もホワイトマンのオーケストラで行われ、大成功を収めた。ジャズの要素がふんだんに盛り込まれ、最初のトランペットの音を聴けばそれと分かる個性的でアメリカ的な作品である。
□ガーシュインのピアノ以外の作品
パリのアメリカ人 (An American in Paris)【1928年作曲】
「ラプソディ・イン・ブルー」の成功により1925年に現在のニューヨークフィルにあたるオーケストラの指揮者ウォールター・ダムロッシュに依頼され1928年に制作された。
この作品は作曲前にガーシュイン自身がパリを旅行した際の印象を描いたもので、「アメリカ人」とはガーシュイン自身を表している。
初演もカーネギーホールでニュ-ヨークフィルによってなされ、成功を収めた。曲中にタクシーのクラクションの音なども入っていて遊びの要素もある名曲である。