ベルリオーズ

Hector Berlioz【1803年12月11日-1869年3月8日】

Berliozベルリオーズは、1803年フランス南東部のラ・コート・サンタンドレで生まれた。
彼の父親は医者で、恵まれた環境の中で育てられた。

パリの大学で医学生として勉強していた彼は、次第に音楽に傾倒し、ついに父親の反対を押し切る形で、パリ音楽院に入学したのであった。

音楽家となった彼は、貧困生活を送りながら作曲活動をしていたが、生前は全くと言っていいほどフランスで評価されることは無かった。

また、世界一のヴァイオリニストとして有名なパガニーニが彼にお金をくれたという逸話が残されている。現在の金額にして1000万円ほどとのことで、ベルリオーズはこれに感謝し、パガニーニに曲を献呈しているのだが、どうやらこれは、楽譜屋が楽譜を売るために作った作り話であったことが分かっている。

□エクトル・ベルリオーズ 略歴

1803年 フランス南部で生まれる
1821年 パリで医学生となる
1822年 パリ音楽院に出席
1825年 サン・ロッシュ教会でコンサートを開く
1830年 ローマ大賞受賞
1832年 ハリエット・スミスソンと結婚
1854年 マリー・レシオと結婚
1869年 パリで死去

□ベルリオーズのピアノ以外の作品

幻想交響曲 (Symphonie fantastique)【1830年作曲】

「幻想交響曲」というそれまでの交響曲に例を見ない新しい作品が作られたのは1830年のことである。

ベルリオーズが24歳の時に初めてシェークスピアの劇を見て感動し、その主演女優に激しい恋をした。彼は必死に彼女にアタックしたが、実らず、ついに手紙まで拒否されてしまうのである。
結局、彼女が次の公演地であるオランダに出発することとなり、この恋愛には終止符が打たれたが、この一方的とも言える恋の情熱がこの作品がを作曲させたのであった。

フランスにはもともと交響曲の伝統が無く、なおかつこの作品における長い標題は新しいものであった。例えばこの標題の一つを要約して挙げると「第一楽章:夢、情熱 情熱という病に冒された若い音楽家が一人の女性に出会い狂おしい恋に落ちる。恋人の幻影が楽想となって絶えず彼を追いかけ、憂鬱な夢想から錯乱にいたるさまざまな感情がこの楽章の素材になっている。」といった感じである。

彼の作った標題付の交響曲がその後、リストの交響詩などに影響を与えたのは間違いなく、若きベルリオーズの情熱が新しい音楽を作り出したのである。
ちなみにベルリオーズとこの時の女優ハリエット・ハミルトンはこの3年後に結婚している。

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